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教育委員会(木田美含む)

天明3年(1783)

○ 天明3年より20カ年間期、南部大畑村「熊野屋 平兵衛」請負人となる。   - 松前直領交易請負 - (蝦夷地一件)   注 ※ 後掲の「熊野屋 忠右衛門」「熊野屋 与左衛門」「菊地 新左衛門」は「平兵衛」の子孫、或いは一族と思われる。

天明元年(1781)

○ 「蛎崎 佐士」の岩内知行所没収により松前藩直領となる。     「これは、安永9年蝦夷檜山事件により「飛騨屋 久兵衛」が公訴し、天明元年9月松前藩は、家老「蛎崎 佐士」を屋敷預としたが病死。死後、11月、「蛎崎 佐士」の重追放を宣告し知行所を没収せしめた」。岩内場所は、以後、幕領となるまで藩の直領ととなった。

寛延4年(宝暦元年)1751

○ 近江八幡の商人「恵美須屋(岡田)弥三右衛門」、「蛎崎 佐士」より岩内場所を請負う。   運上金 80両 外 冥加あり。(※注 享保年間(1716~)請負人置かるとあるが、現在判明している最初の請負人は「岡田 弥三右衛門」。)          この年をもって岩内の開基とす。            (佐藤 弥十郎 安定)

慶長9年(1604)

○ 慶長年間、岩内場所創始せられ藩士の知行所となった。     慶長9年、「松前 慶広」は江戸において「徳川 家康」に謁し黒印の制書を受けた。     その結果、交易は松前氏の独占なり、而して能く幕府に仕え隣藩と交わり、内にあっては新たに城を福山に築いて根拠を固めた。     藩内を和人地と蝦夷地に区分し、蝦夷地を数十の場所に区画し、要所要所を家臣に知行とし与え、蝦夷交易を以って主要の給与とした。 […]