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教育委員会(木田美含む)

天明年間(1781~)

○ この時代の諸文献に現れている事項。   ・ 松前隋商録 イワナイ(小字、シリフカ、シャシトマリ)     鰊、鮫、串貝、鮑、ホッキ、カスペ、イリコ     運上金秋味公儀金 30両、鱒金 65両、尤も鱒第一の場也。   ・ 西蝦夷地分見     運上金 465両、秋味 五千石以上、百石につき20両上納、備米15俵     直領、請負人 大畑 熊野屋 忠右衛門、蝦夷百戸、340人   ・ 西蝦夷 […]

天明3年(1783)

○ 天明3年より20カ年間期、南部大畑村「熊野屋 平兵衛」請負人となる。   - 松前直領交易請負 - (蝦夷地一件)   注 ※ 後掲の「熊野屋 忠右衛門」「熊野屋 与左衛門」「菊地 新左衛門」は「平兵衛」の子孫、或いは一族と思われる。

天明元年(1781)

○ 「蛎崎 佐士」の岩内知行所没収により松前藩直領となる。     「これは、安永9年蝦夷檜山事件により「飛騨屋 久兵衛」が公訴し、天明元年9月松前藩は、家老「蛎崎 佐士」を屋敷預としたが病死。死後、11月、「蛎崎 佐士」の重追放を宣告し知行所を没収せしめた」。岩内場所は、以後、幕領となるまで藩の直領ととなった。

寛延4年(宝暦元年)1751

○ 近江八幡の商人「恵美須屋(岡田)弥三右衛門」、「蛎崎 佐士」より岩内場所を請負う。   運上金 80両 外 冥加あり。(※注 享保年間(1716~)請負人置かるとあるが、現在判明している最初の請負人は「岡田 弥三右衛門」。)          この年をもって岩内の開基とす。            (佐藤 弥十郎 安定)