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教育委員会(木田美含む)

慶応3年(1867)

○ 幕府、箱館奉行所 茅沼炭山を再掘に力を注ぐ。     幕府は万延元年、元治元年に亘り頻りに茅沼炭山の検分試掘をなしたが遂に慶応元年廃止のところ、前年末より再び採掘に決し当年度に於ては、海岸より炭山に至る道路を開鑿し、炭倉を建て石炭を採掘し其の規模前に比すれば大に観るべきものがあった。 ○ 運上屋 石炭山御晋譜調材用達。      当年正月磯谷後志川上にて始め、岩内尻深 ( 堀株 ) 茅沼山等に […]

慶応2年(1866)

○ 当時、運上金 1,299両 2分 ○ 12月 幕府より、佐藤 仁左衛門に対し、茅沼石炭 御普譜巨材 15,000石 伐出し、調材御用仰付らる。 ○ 箱館奉行所 在留 英国 抗師 ガール を雇い、茅沼炭山を再掘す。

3 転校の手続き

※上記の他、町内の転居で通学区域が変更となる場合も、転校手続きが必要となります。詳しくは岩内町教育委員会までお問い合わせください。 ※特別な理由により指定された学校の変更を希望することができます。(※「4 通学区域・学校指定校の変更」を参照)

元治元年(1864)

○ 函館奉行所 茅沼炭山を採掘、翌年、之(こ)れを廃止す。     奉公所は練習蒸気船の需要のため石炭の必要を痛感し雇 大島 惣左衛門 をして各地の石炭を分析せしめた処茅沼の石炭は頗る良好であるとの結論を得たので定役元締坑内幾之進及び大島 惣左衛門 を派して試掘せしめた。結果、惣左衛門 は坑内に留木を使用すれば採掘困難でないと見たので採掘する事に決定し白糖炭山の礦夫を移して使役した。然るに同年3月 […]

文久2年(1862)

○ 函館奉行所は、当時、上磯郡茂辺地 矢不来天満宮 官祀 池田 茂逢 に命じ、岩内の厳島神社に北門防禦の守神たる八幡大神を相殿に合祀せしむ。 ○ 函館奉行、雇米人 ブレーク、パンペリーの2人をして茅沼炭山を検せしめしに、其の炭質の良好にして頗る有望なることを復命す。 「 幕末には幕府の傭聘した米国の地質鉱山技師ブレーク、パンペリーの口蝦夷調査を見る迄になった。この両者の学術的検査を経た鉱山記録が如 […]

文久元年(1861)

○ 岩内場所請負人 佐藤 仁左衛門 山道を開き、漁業の暇を以て茅沼石炭を採掘し、石炭100石に付、運賃共 金37両を以て箱館にて買上げられんことを請願す。 ○ 佐藤 仁左衛門 5里の山道を修築し、岩雄登硫黄を採掘す。      箱館に運送し産物会所に納める。明治元年まで続く。 ○ 7月 牛・馬、牝・牡 7頭、官より御預けに相成り、該馬は士官乗馬並山硫黄附下とも兼用す。     追年殖馬是当郡飼馬の […]

万延元年(1860)

○ 箱館奉行所 手附 栗原 善八、茅沼に派遣せられ石炭を試掘せしも坑道の天井崩壊し採掘困難であるとの理由で廃止となる。 ○ 佐藤 仁左衛門、幕府の命により自費を以て当硫黄山を切開製硫黄8カ年他売を為さず官御定めの価格に随い年々之を物産所へ売上ぐ。  ( 佐藤家記録 )