昭和29年(1954)

○  町村合併促進法により町村合併の議起る。
○  1月29日 日本海大暴風雪災害
          被害船 沈没、 大破外73隻、 総屯数1、299トン
          3,620馬力  損害額 58,790,000円
○  3月 島野村メトチ川溜池竣工。
○  6月 岩内郵便局開局80周年記念式を挙ぐ。 (明治7年開局)
○  6月20日 東小学校創立80周年記念式を挙ぐ。 (明治7年開校)
○  6月 日本海サンマの試験操業を開始。
      期間6月より7月まで、これがサンマ漁業の始まりである。
○ 自治警察岩内警察署廃止さる。
     昭和22年国家地方警察と自治体警察に分離されたが、この年町警察廃止となり、道警1本となった。
 ○  9月26日 岩内町大火 (15号台風中)

            岩内町大火は長野県飯田市、鳥取県鳥取市と共に戦後における三大大火といわれている。
            この日夜半から27日未明にかけて本道を襲った15号台風は、青函連絡船洞爺丸を沈没させ、千数百名の死者を出した程の大烈風であった。9月26日午後8時15分、風速37メートル(瞬間風速40~50メートル)の大暴風中、相生20番地西口アパートから火を発し、初め南南西の烈風にあおられ御崎海岸に至って止む見込みであったが、火先きが海岸に達した頃俄かに風向きが南西から遂次西に変わり火力は増々猛烈を極めた。
            風は勢いを増し同時多発の延焼となり、各所に飛火し、港内に繋留した発動機船を焼き遂に全町火の海と化し大浜東端に至る。
            やがて焼くべきものがなくなって、止むを得ず火の方が治まったという惨状で、焼失家屋 3,300戸、全町の8割を焼いた。延焼の恐れがなくなったのは、翌朝午前6時、延焼時間10時間、鎮火時は翌々日28日正午と記録されている。大火損害其の他は次の如くである。
            発 火 の 時 刻      9月26日午後8時15分
            発 火 の 場 所      相生20番地 西口アパート
            発火時風速 風向      37.6メートル、南南東
            火 勢 鎮 圧 時      9月27日 午前6時
            鎮    火    時      9月28日 正午
            焼 失 区 域      32万坪
            罹 災 人 口      16、622人
            焼 失 家 屋      3、298戸
            死        者      35名   行方不明 3名   負傷者 250名
            家 屋 損 害      85億2700万円
            諸 施 設 損 害      約10億円
            船 舶 の 損 害      2億8200万円
               沈没 11、  大破 10、  坐礁 48、  焼失 25  計 94隻
            損 害 合 計      98億900万円
○  9月28日 田中敏文知事、災害状況視察
            同日夕刻2時間に亘り視察。 これはひどいを連発する。
            町長室で山本町長の要請に対し即答する。 引続き通信、電灯の復旧工事、道路の焼跡処理、
治安の維持に協力している陸上自衛隊を訪れ感謝の意を表明。
            さらに西小・岩内協会病院に収容されている被災者や重軽傷者を激励した。
○ 10月 1日 大亀議長、道議会運営委員会で窮状説明。
○ 10月30日 救援物資輸送トラック稲穂峠で遭難。
            稲穂峠の7合目付近で救援物資食糧を満載したトラックが約50メートルの谷底に転落。
            即死1名、重傷者1名を出す惨事となった。
○ 11月 木田金次郎、第6回北海道文化賞を受く。