大正9年(1920)

○ 7月 岩内神社 現在の地に遷宮す。
      大正4年、氏子一同協議の上、改築移転の議決し、この年、社殿を新築移転す。
      敷地 一万坪  工費 4万円 社司 池田 角之輔
○ 鰊漁業漸次不振となり岩内漁業組合雷電魚場賃貸料引下げ、岩内町其の他への贈与金を打切る。
○ 岩内漁業組合 前田村字浜中の漁業権を放棄し、雷電漁場は数ケ統を減じ、悉く関係町村に譲渡す。
     ( 岩内漁業組合 沿革 )  其の後大正2年の鰊皆無漁に際し、これ等の各漁場も殆んど放棄し一部残存せるものは後ち合同会社に出資す。
       (註) 此の項に関し大正7年11月29日付小樽新聞には「31ヶ統の内25ヶ統を岩内に返戻し6ヶ統を組合のもとにしてしまった」 とあり蓋し大正7年のことか。
 ○ 此の年岩内地方鰊不漁、小樽地方漁あり。発動機船同地方へ買鰊に出道、これを製造した。
 ○ 岩内水力電気株式会社、帝国電燈株式会社に合併す。
 ○ 10月 岩内消防後援会成る。 ( 会長 厚谷外喜男 )
 ○ 三国竹次郎、スケトウダラ発動機船漁業に成功す
     大正3年、北友長之助同漁業に着業し功ならず中絶していたが三国竹次郎機船岩内丸を購入し之を再興し良好なる成績を収めた。当時、スケトウダラ川崎船漁業135隻。其後、発動機船漁業勃興し大正11年8隻、12年48隻、13年85隻、遂に昭和2年140余隻に達す。