大正3年(1914)

○ 戸数 2,798戸
○ 町営港湾修築第2期工に着工す。
     第1防砂堤1,500尺 第2防砂堤450尺、町費134、190円、地方費73,000円 合計207,190円。
○ 2月26日 午後10時20分、橘町麩製造業小熊某方 ( 旧遊楽館東隣 )
     神棚灯明より出火。西北風10mにして全焼49戸、半焼3戸、損害238,000余円。
     当時、警察署長 上ノ原寿吉、消防組頭 向山忠太郎。
○ 10月21日 第7師団秋季演習当町に於て終了。 ( 師団長 宇都宮 太郎 )
○ 町外円山に補陀落山六角堂建立。
○ 北友 長之助、岩内漁業組合の補助を得て発動機漁船岩内丸 ( 7,8トン )を新造し、初めて機船を以てスケトウダラ延縄漁業をなす。右は岩内町に於ける機船漁業の嚆矢である。漁撈法に経験浅く経営2年にして成績挙らず遂に中止のやむなきに至ったが、大正9年 三国 竹次郎 によって再興された。 ( 大正9年参照 )
○ 発動機船新造のはじまり。
     当年函館に於て新造された岩内の機船次の通り。● 北友 長之助 岩内丸 ( 7,8トン ) スケトウダラ漁業。
     ● 田中 亀吉 宇賀神丸 ( 7,8トン ) 運漕、鱈釣。● 渋谷 久太郎 神恵丸 ( 7トン20馬力 ) 運漕。
     ● 北野 与三松 宝運丸 ( 5トン16馬力 ) 運漕。
○ 昨年の大凶作救済慈善演芸会開催。
     ( 二葉座入場料10銭、入場料を救済に寄贈 )
○ 初めて明太魚を朝鮮に輸出す。
      木森惣右衛門、小樽より郵船にて大阪中継朝鮮平壌へ初めて明太魚を輸出したが凍寒法不明にて品痛みを生じ成績不良に終る。 ( 之より先き明治末年、四国の商人某 スケトウダラ棒千程度のものを内地へ輸出したが結果不良であった ) 大正14年参照
○ 物 価  スケトウダラ子 皆掛10貫1樽 1円70-2円  生スケトウダラ 130尾入1叺 80銭
          身欠 12貫代4円  越後米3等 1俵 7円15銭  スケトウダラ開き 10銭に付15枚