大正2年(1913)

○ 3月 町長 山下 良実、退職。後任 梅沢 市太郎、就任。
○ 7月 橘小学校、本校に吸収される
      明治41年1月、児童数の増加により橘町に校舎を新築し男子校、女子校の一部を移籍する。
      その後橘小学校は大正2年7月まで続き男女とも本校に吸収された。
○ 9月28日 岩内消防組を4部制に改め、第4部に初めて蒸気ポンプを備付く。
     購入費 3,100余円寄附による。代部長 青塚 勢代吉、当時全組員161人、町警備費予算 1,650余円。
○ 9月 真宗高田派願誠寺創立。最初説教所、大正8年寺号公称。
○ 岩内港灯台逓信省移管。
     岩内港灯台は明治43年建設岩内町営であったが、7月7日岩内町より逓信省航路標識管理所 ( 後に燈台局 ) に移管さる。 ( 初代看視長 市木右一 ) 昭和8年12月20日防波堤延長につき位置移転、昭和9年光達距離11浬。昭和5年町営赤燈台点火。
○ 第1回岩内実業運動会開かる。
    ( 第1回会長、北海道銀行支店長 河内 純一 2、大岩 寅吉 3、梅沢 市太郎 4、厚谷 外喜男 5、梅沢 栄之助 6、馬場 栄吉 7、橋本 嘉太郎 8、本間 重策 大正9年以降中絶 )
○ 此の秋農作物大凶作。