明治40年(1907)

○ 岩内漁港修築工事着工 ( 築港事務所長 櫛谷 国松 )
     40年9月より町営を以て西防波堤の築造を開始し稲穂崎の一端より2千百尺を出して海面13万余坪を被覆し北西風を遮断せんとした。工事は港の西方突端より北向する西防波堤は6百尺を築造し経費554,700円は町の起債によって行なわれ予定の如く43年度を以て竣工した。 ( 道史 )
○ 本港修築に関し終始一貫粉骨砕身目的貫徹に尽力せる者次の如し岩内支庁長 山田 有斌、岩内町長 三上 常和、町会議員 橋本 清吉、本間 勘次郎、斎藤 作蔵、道会議員 一柳 平太郎。 ( 岩内案内 )
○ 2月4日 町長 三上 常和、退職。 ( 後任 町長職務管掌岩内支庁 佐藤 浩気 )
○ 当時町会議員左の如し
      一柳 平太郎、藤野 善蔵、本間 勘次郎、佐藤 熊吉、橋本 清吉、本間 玄契、梅沢 六兵衛、佐藤 弥十郎(先代)、藤田 幸太郎、手塚 貞、上島 職、卯尾 治三郎、若狭 岩蔵(先代)、向山 忠太郎、勝峰 金治、松浦 島次郎 (先代)、林 貞助、坂本 六兵衛、角 林蔵、斎藤 作蔵。
○ 浜中埋立工事に関し埋立派、非埋立派紛争す
     早春より浜中工事に関し紛争を醸し甲論乙ばく町民をして其帰嚮に迷はしむ、之れある一派の野心家の躍進による処にして既に三上町長をして其職を去らしむるに至れり。
○ 7月 二葉座、清住の地に新築す。
○ 8月 御鉾内町6に岩内魚市場を開く。 ( 発起人 林 貞助、吉田 清作 )
○ 9月 岩内支庁管内物産品評会を開く。
○ 岩内教育品展覧会開かる。
○ 11月1日 岩内郵便局特設電話は公設電話となり、次で普通電話となる。局長 簗瀬 真精、退職。後任 簗瀬 捨次郎。