明治30年(1897)

○ 岩内支庁置かる。 ( 11月 )
     郡役所 ( 郡長 三宮 惟馨 ) を廃し岩内支庁に改めらる。初代支庁長 田中 坤六。
○ 明治30年代より明治40年頃迄を岩内の鰊全盛期とする。
     此の時代岩内5万石、古宇郡十万石の漁獲あれば大漁とされた。
     岩内郡建綱82、3ヵ統 (内雷電入会漁場81ヵ統) 1ヵ統平均岩内郡6百石、古宇郡千石を以て大漁とす。
     千石の価格3万円、之に対する経費1万4,5千円を要した。
○ 岩内鉄道同志会組織せらる。
     同志会は 武藤 清兵衛、安達 定吉 等の主唱したもので北海道鉄道会社が当時計画中であった函樽間鉄道予定線路の変更を目的としたものであって、其の主張は稲穂峠を 「セトセ」 に貫通し岩内に出て雷電を経て磯谷、歌棄、寿都を通過してわらび岱に結ぶ。此の距離十哩余を短縮し得べく敷設費1哩4万円とすれば40万円の工費を節減し得べしと。 
○ 岩内鉄道同志会 ( 安達 定吉 ) 百数十日間技師を派して変更線路の測量調査をなす。(この測量図 安達家所蔵)
○ 9月25日 真言宗本弘寺創立。 ( 開基 僧正 肥田 盛道 )
○ 当時各町総代人
     御鉾内町 本間 玄契 金子 喜七郎  鷹台町 小池 幸吉 若狭 岩蔵  掘江町 三島町  春日井 斉 角 林蔵
     稲穂崎町 吹上町  松田 金蔵 長浜 彦太郎
○ 岩内税務署開設。 ( 明治36年廃止 )
○ 鉱産物採掘高
     右近茅沼炭鉱1ヵ年1万3千5百屯、松岡茅沼炭鉱1万屯、三井硫黄山5千石
○ 町勢の進展著るし。
     本港は漁業の一中心地となっていたが、附近平野の開発によって、やがて商業の発展となり殊に30年頃より倶知安、真狩等の諸原野の開拓行われて、其需要品及び生産品は大部分本港に集散されし為め、更に地方の中心市場として発展し、水産業と共に商況著るしく活発となった。