明治21年(1888)

○ 北海道庁英国港湾工師スコット・メーク ( Maik ) をして岩内港湾を調査測量せしむ。
     メークの岩内港湾に関する報文には、港湾の修築若しくは埠頭を建設し汽船の碇繁に便ならしめるべきであるとし
東西両防波堤を作って海面を被覆し港内を20呎に浚渫を行うべき計画を立てた。
○ 茅沼炭砿払下 長浜 彦太郎外4名に許可せらる。
     許可氏名 長浜 彦太郎、大崎 亀吉、安田 半兵衛、佐野川 幸吉、沢口 庄助 依って各株主資金を支出し炭庫に修繕を加え且つ役員等を撰定し 赤坂 和助 を聘し採炭係とし、長浜 彦太郎 を組合総代、沢口 庄助、武藤 清兵衛、安田 半兵衛 を取締人、簗瀬 政治 を事務扱人、倉田 鉄之助を坑夫頭、秋山 徳蔵 を人夫請負人とし以て内外百時を整理し岩内寿都磯谷古宇函館有珠紋別横浜等に販路を開く。22年より事業緒に就き23年より出炭量1万屯を超過す。 ( 北海立志篇 )
○ 屯田兵本部長 ( 兼任北海道庁長官 ) 陸軍少将 永山 武四郎、来町。長浜 彦太郎 方宿泊。 ( 道史 )
○ 岡村肝油沃度製造所開業。
○ 此の頃現馬場呉服店下角附近にて獺捕獲。
      私の宅 ( 現馬場呉服店下角 ) の前の川で家人が氷の張った川辺で鉈を磨いていると獺が出て来たので鉈を投げつけて獲った。獺の皮の帽子が最近迄私の家にあった。 ( 山本 村治談 )
○ 岩内警察署8月21日御鉾内町火災の際類焼、同町簡易教育所内に臨時移転、同年9月岩内古宇郡役所内に移転。
       ( 註 ) 此項明治22年と重複するが判明せず。
  ○ 2月 岩内私学校 ( 後、岩宇同修学舎 ) 創立さる。
  ○ 靴製造のはじめ
     大井 玉造、函館より来住、靴製造を始める。明治28年、又十 高橋 藤兵衛、次いで開業 ( 元遊楽館附近 ) 
     いずれも独逸製ミシン使用。