文久2年(1862)

○ 函館奉行所は、当時、上磯郡茂辺地 矢不来天満宮 官祀 池田 茂逢 に命じ、岩内の厳島神社に北門防禦の守神たる八幡大神を相殿に合祀せしむ。
○ 函館奉行、雇米人 ブレーク、パンペリーの2人をして茅沼炭山を検せしめしに、其の炭質の良好にして頗る有望なることを復命す。 「 幕末には幕府の傭聘した米国の地質鉱山技師ブレーク、パンペリーの口蝦夷調査を見る迄になった。この両者の学術的検査を経た鉱山記録が如何に画期的な位置を占めるものであるかは岩内 ( 茅ノ澗 ) 石炭坑の正式経営が開始されたのもこれからの事であるのを見ても知られる。 やがてケプロンに知られ、どれだけ彼をして北海道開拓顧問たるの決心と抱負とに力ずけられるものがあったか図り知れざる程大なるものがある。」( 道 史 )
○ 浜 喜三郎 来住
    「 備考 」 徳川幕府衰亡に向う