安政3年(1856)

○ 函館 称名寺 16世 観光、帰厚院を開基創立す。
○ 茅沼炭山、発見される。
    茅沼村、武井 忠兵衛 鱈釣船頭に雇われし加賀出生の忠蔵なる者、漁具櫓かい伐採のため登山し、帰路に際してイワ炭とか申す者なりとて忠兵衛方へ持来り、試みに炉に焚きたるに火勢烈しく異なるにより雇い漁夫集り来り、噂に聞く唐船(汽船を云)にて焚く石炭とか申すものなるべしと評せり、其の後、忠蔵、現品を持参してウスベツ村番屋(旧請負人出張所)平森 徳蔵 宅に至り産地を告ぐ、然して番屋 徳蔵は岩内運上屋 佐藤 仁左衛門に告ぐ。( 北海道史 )
  ○ 姫路の儒者 菅原 潔 蝦夷地に渡り岩内までを視察す。 ( 北遊乗 )
  ○ 佐藤 仁左衛門 雷電・余市 両山道を開く
    幕府より、雷電・余市 両山道開切仰付けられ、即年5月より両道ともに自費を以て之を為し終始総人夫大略7,000人、草木を切り開き絶壁を崩し難険再鑿、同年5月に至り、両新道完く落成す。( 佐藤 仁左衛門 履歴 )
  ○ 神威岬、婦女通行禁制を撤廃す。
      正徳年間(1711~) 松前藩政令により禁止されていたもの下役元締 梨本 弥五郎 宗谷に赴任する為め、妻子を伴い始めて、此の岬を通過す。
      弁天社脇河海庵主 盲人 玄雄都俳人(佐藤請負人叔父)土人を愛燐し病者を鍼し貧者に施米す。( 西蝦夷日誌 )
  ○ 磯谷・岩内境の雷電嶺の山道竣工