天保6、7、8年(1835-7)

○ 此の間、内地凶作の為め、妻子引連れ岩内に移住出稼するもの多く
    従前、和人の居住するもの20余戸に過ぎなかったのが西蝦夷地一等輻輳の地となる。( 佐藤家履歴 )
○ 全国大飢饉