文化3年(1806)

○ 幕府目付 遠山 景晋(金四郎)・勘定吟味役 村垣 定行(左太夫)
    巡回の際、属僚をして岩内・余市間道路を調査せしむ( 景晋は、南町奉行 遠山 景元の父 )
○ 馬14頭、船にて養い来り、硫黄山にて使役。
    西蝦夷地は、当時、未だ山道が開けなかったので、東蝦夷地のように広く馬を使うことはできなかったが、岩内場所では文化初年にこれを移入して、硫黄の運搬に使用していた。( 文化3年刊 東海参譚 )