明治6年(1873)

  ○ 茅沼炭山 1カ年 収支 次の通り。
    1、金 29,700円 ( 石炭掘出高 10,800屯 1屯につき2円75銭 )
    1、金 26,447円37銭9厘9毛  諸入費
    元払差引御利益 金 3,252円62銭1毛
  ○ 本陣を駅逓所と改称す。
  ○ 安田 半兵衛 来住
  ○ 開拓使 御雇 米人 地質鉱山技師 ペンジャミン・スミス・ライマン 茅ノ澗炭山を調査す。
     ( 明治9年発表 ) ライマンの調査結果次の通り。
     ばい炭6層 内3層は厚さ平均各6尺、自余3層は厚さ平均3尺5寸、7尺、7尺5寸 
     合計厚さ 36尺  9、25万屯又海面下4,000尺の間凡2,930万屯 総額3、855万屯なり。
     岩内雷電山中雄内に石膏あり其の数量凡100万屯。
  ○ 12月 ライマン 炭坑の改良と岩内渋井築港を建言す。