明治2年(1869)

  ○ 7月8日 旧藩を廃し開拓使を置き、7月26日「北海道」と改称し11か国86郡となす。茲(ここ)に「岩内」の名称確定す。
  ○ 開拓使 岩内古宇詰所を設く。(初代所長 大主典 柴田 宗九郎)
  ○ 8月 茅沼炭山に初めて鉄軌道を敷く。
  ○ 政府、岩内郡茅沼炭山を再興し、英米両国より鉄軌及輸車を購入し、初めて軌道を敷設す。( 鉄道省発行日本鉄道史 )
  ○ 8月 車道を作り、4噸車を運転し、坑内は一輪車を用ゆ。 ( 北海立志篇 )
  ○ 安政年間、茅ノ澗炭山発見以来、明治2年、政府が官業として英人カール及び英人ゼームス・スコット等に命じて、海岸迄輪車道を敷き、延長約20丁間に、35封度、巾員2呎(フィート)6吋(インチ)の鉄軌を施設せり。其(そ)の材料は、英米両国より輸入せるものにて、今に使用するもの、即(すなわ)ち夫れなり。
     4屯車蒸気機関車使用せし云々の伝説は、誤りなるべし。
     蓋し、4屯車は牽牛を使用せり。 ( 簗瀬 真精、西沢 憲宗 記録により 簗瀬 捨次郎 記 )
  ○ 9月 場所請負制の廃止
     開拓使は場所請負人を廃して官捌とし又旧請負であって漁港をなす者は当分之を漁場持と称せしめ漁業を廃するものには場所に備置いた漁具漁船の代価を下附すべき旨を達した。
     此の請負廃止は本道漁業上の一大変革であって独立の漁民を殖し斯業の発達を図るに最も適当の処分であった。
     その後間もなく漁場持を廃し一般の人民に漁業を許した。 ( 拓殖史 )
  ○ 11月 島判官殿 全道請負人を札幌へ喚出し、従前請負の名義廃せられ、更に、仁左衛門 権少主典の職務仰付けらる。12月、願に依り拝命辞職す。 ( 佐藤 仁左衛門 履歴 )
  ○ 当時、附近、請負人・運上金 次の通り。

請負場所 運上金 請負金
岩内 1,975両1分 永 11文 3分 佐藤 仁左衛門
古宇 2,031両 永 44文 田村 新右衛門
寿都 583両 永 100文 山崎屋 新八
磯谷 1,069両2分   佐藤 栄右衛門

○ 清水 林右衛門 来住