文化6年(1809)

○ 岩内・余市間道路を開鑿す。
    文化3年、岩内・余市間道路を調査した結果、当年、岩内場所請負人 菊地 新左衛門
    古宇場所請負人 福島屋 新左衛門 余市場所請負人 柏屋 喜兵衛
    幕府の趣旨を奉じ、各々、番人1人・蝦夷24人を出して之を開鑿し、以て海路神威岬の険所を迂回するを避けたり。
    岩内・余市間の道路にして現今の路線と一致せり。
○ 前代未聞の悪風により、西蝦夷地方 岩内古宇辺りにて暫時の間に番船鰊取船番10隻破船 60人余 溺死。